2022年6月〜熊野古道への旅行記

2022年6月2日から6月5日にかけての4日間の旅の道行きを紹介する。

第1日目

東京都から出発

木曜日の朝11時に出発した。遅くなってしまった。眠くてだるかったのだ。だらだらしていたら遅くなった。でも一気に荷物を詰めた。

快調なスタート、天気晴れ。東名高速道路へ。

神奈川県に入った

ありゃま、すぐ渋滞。30分以内で解消したけれど、コースタイムでは進めないのだな。熊野まで向かうにしても所要時間は高速道路を使っても休みなしで走って8時間かかる。

一気に走っても、泊まるところも食べるところも当てがない。どこか夕方になったら宿を探そうと思う。

静岡県

右手に富士山が見えた。御殿場付近。いつもなら、このあたりが目的地でもうすぐ終点となることが多いのだけれど、今回の旅ではここではまだ1/5くらい。先が長い。

新東名の清水PAには小ぎれいなお店があった。高速道路のPAっぽくない。

ここ(清水PA)でお昼ご飯にする。

清水港で水揚げされたマグロ丼という。食べ終わったら、13時45分になった。時間がどんどんと過ぎていく。

日暮れまでにどこまで進めるだろうか。車なので、どこにも宿が取れなくたって、道の駅に行ってそこで寝れば良いのである。気が楽だ。と、自分に言い聞かせるようにする。

とりあえず記念写真を撮る。快晴。

新東名高速道路は、東名高速道路と並行している新しい道路で、御殿場より先なので今まで走ったことはなかった。今回初めて走ってみて、そう言えば、聞いたことはあったが、最高速度が100kmではなくて、120kmになっている!
(静岡県掛川市)

100kmの高速道路では120kmで走っているドライバーもいると思うが、120kmの道でもおおよそ120kmで走っているようだった。

最高速度は、天候(風・雨・雪・霧)と左右のカーブ、上下のスロープなどの条件によると思う。他の既存の高速道路でも地形が合えば、最高速度を120kmに上げても良いところがたくさんある。

愛知県

14時58分。あっ! 新城だ、と思ったら、「シンジョー」ではなく「シンシロ」という。以前に住んでいた、神奈川県川崎市の新城を思い出す。

三重県

16時18分、三重県桑名市に入った。遊園地が見える。

それから、四日市、亀山などを抜けて、2時間ほど走って、三重県伊勢市向かった。

途中で、イオンがあったのでいつものウィスキーを買おうかと思ったら、ウィスキーの種類が極めて少なくて、この辺りではほとんどの人が飲まないことがわかった。「何とかの12年」などは皆無。専門の酒屋に行かないとないらしい。

ウィスキーは2Lとか4Lのホワイトとかブラックニッカのようなものばかりだった。スコッチは置いてなかったので、ここではウィスキーは買えなかった。同じイオンとは言っても、地域の消費性向に合わせてあるのだろう。

伊勢市に来た。これは伊勢市駅の駅前。

次は、伊勢市駅前から伊勢神宮に向かう参道の商店街。道幅の広い遊歩道。

この後、ここを歩いたのだけど、自転車に乗った高校生をちょこちょこと見かけるのだが、赤信号で全員がじっと止まっていたのには、本当に感心した。子供達が自然にそうしているということは、大人たちも皆そのようにしているのだろう。

まるで自分が外国人であるかのように、感心してしまった。

上の写真の奥へ行くと、部活を終えた高校生たちが自転車で走っている。

伊勢市でホテルに入った。三つ星ホテルという。一体、日本ではどこの誰が星の数を決めているのだろうか。ホテルが自分で宣言するのだろうか。

良いホテルだった。ビジネスホテル以上の何かがあったと思う。

さすが、伊勢神宮のすぐ近くのホテルだけあって、聖書でもブッダの教えでもなく、「古事記」であった。

竹田恒泰の現代語訳で、伊勢志摩サミットの時に配布したものらしい。伊勢志摩サミットと聞いてもすでに遠い記憶であるように感じる。

夕食はここだ! 一番いい感じ。といっても、選べるほど無い。伊勢神宮の近くだと行っても、ホテルは少ないし、飲食店も少ない。旅館もそんなに無い。伊勢神宮だけでは集客はできなくなったのだなあ。

お伊勢参りが一生で一度の夢だったのは、江戸時代の江戸庶民であった。関西では近かったらそれほど格別なことではなかったかもしれない。

お刺身はとても大きいのだけれど、この写真だとそうは見えないかも。逆にビールのジョッキが小さく見えます。お通しの豆腐と豚バラの煮物、ジャコおろし、アスパラとホタテの炒め物。どれも美味しかった。

第2日目

三重県

朝一で伊勢神宮へ向かうつもりだが・・・

と、その前に朝ごはん。

コーヒーもおいしかった。牛乳も飲んだ。

清潔ですっとした感じが実に気持ちが良かった。初日がここで良かったと思う。バイキングの感じも陳列が綺麗で、写真を撮っていいですかと聞いたら、わざわざ覆いを一瞬取ってくれた。(その写真は省略)

伊勢神宮は、地元ではお伊勢さんなどと呼ぶようである。気安いけど、親愛の情の表れということだろう。

伊勢神宮の外宮(げくう)の正面入り口。朝の9時なのでまだ空いている。朝は5時から開く。午後は6時には閉まっている。やはり朝は早いほど良いだろうと思う。

「げくう」と読むとは知らなかったが、伊勢神宮の呼び名であるので、パソコンの変換でも、「げくう」と入力すればMacでもWindowsでも最初に「外宮」と変換される。

伊勢神宮外宮は豊受大神宮という。少し離れたところに内宮がある。今回は内宮には行かない。

9時はまだ人が少ない。前方には、サラリーマン2人組、出張で泊まりの翌朝であろう。

朝食後に「打ち合わせまでまだ時間がありますから、せっかくなんで伊勢神宮に行ってみませんか?」「いいですね。実は、私、まだ行ったことがないんですよ」なんていう、地味な会話をしながら、ここに来たのであろう。

この絶妙な距離感。1.8m。あるある、だな。

立派な神社ではあるけれども、本来高貴な人のための神社であるので、下々の者たちも少しは見物させてやっても良いぞよ、という雰囲気を醸し出している。僕がそう妄想するだけであって、実際にはそのような居丈高な雰囲気はそれほどない。

本殿の前。この鳥居の向こう側は撮影禁止になっている。

さあ、これから移動します。また大移動。

伊勢から熊野と言うと、どれだけの距離があるのか。伊豆半島の連想で、伊東から下田まで移動する程度かと思ったら、大違いである。そのゆうに3倍はあって、車で渋滞無しで3時間弱かかる。

どうしても紀伊半島の距離感がつかめないのは、全く馴染みがないからである。

もう一つ言うと、紀伊半島と聞くといつも「キーハンター」を思い出す。そして、あの主題歌が頭の中を流れる。野際陽子、丹波哲郎、千葉真一が出ていたのをよく覚えている。

このドラマが始まると、子供は寝なさいと言われるのだが、まだ土曜日の9時なので、断固として承服できないと毎週粘るのである。幼稚園くらいだったかも?

「紀伊半島一番の〇〇」などの看板が見ると、その度に、このキーハンターのテーマ曲が鳴り響く。”ミーーミミーーーーミドラミドラミレーーレレー”

熊野の海岸。綺麗な海。熊野市有馬町。

日本の太平洋の海岸線は、東南に向いているラインが多い。プレートとの関係があるのか。九十九里、鴨川のように東南に向いている。

この先は、山道に入る。くねくねした道が45km続くので、スピードはあまり出せないので、1時間くらいかかる。途中ちょっとだけ奈良県に入って、すぐ和歌山県に戻る。

和歌山県

熊野本宮の向かい側には熊野川が流れている。エメラルド色のきれいな川である。

熊野古道

熊野古道というのは、この紀伊半島の南側から中央部に至るまで非常に広い地域に広がっている。

一本道ではなく、さっと歩けるような短いものではない。南北にも、東西にも、さまざまな道があり、山道もあり、舗装された道もある。そこをどのように踏破するのか。ルートを考えるのは、とても難しい。

熊野古道というのは、京都方面から熊野に至る道のことである。

京都から大阪、和歌山、田辺市を経由して熊野本宮に至る道が古くから使われている。これは距離にしておよそ250kmある。田辺を経由するのは、京都から川を下って、海路で田辺まで移動できるからで、歩くのは、田辺から熊野までだけになる。

というと、簡単そうに聞こえるけれども、田辺から熊野本宮までのみちのりはおよそ60kmだ。1日では歩けない。それは平安時代も今も同じ。

歩けないので、途中までバスや車で進んでから歩くという手がある。自家用車で行くと、同じところに戻って来て、再び車に乗って帰る必要があるのでいろいろと頭を使うことになる。

海沿いの田辺市から熊野本宮に東に向かう道は、最短で60km程度あるけれども、最初の10kmくらいは街中になっている。そこから先に古道がある。ルートは一つではなくて、何本かの道がある。どれも50km以上ある山道だ。これらのルートを中辺路という。「なかへち」と読む。

他には、小辺路(高野山からの道)とか大辺路(南の海沿いの道)とか伊勢路とかいろいろある。

山道を歩くには、途中で、宿泊したり、食事したりできる場所が必要だ。調べてみると、いろいろあるにはあるのだけれど、前日ではもう予約ができないところが多く、素泊まりのみという民宿も多かった。これでは、40km踏破はできない。値段も結構ふっかけられているような感じで、素直に進めない。

そこで、ふもとのホテルの泊まって、短いコースを歩いて見ることにした。

発心門王子から熊野本宮大社へ歩くルート

熊野本宮大社の無料駐車場に車を止めて、バスに乗って、発心門王子へ向かった。12時のバスにはぎりぎりで間に合わず、時間つぶしにうどんを食べて、ぶらぶらした後で、13時46分のバスに乗った。

今朝は、伊勢神宮を車で9時半に出発して、早足で2時間半で走り、12時ちょっと前に到着した。発心門王子行きのバスが止まっていると思ったら、12時にお昼のチャイムがなった時にバスは行ってしまった。12時32分と思っていたら、12時0分だった。登山靴を履いていたのだった。しまった。

すぐ近くにいたバスの運転手に声をかければよかった。教訓:旅先ではいろんな人に話しかけることが大切だ。

熊野本宮大社前は食べ物屋さんは少ない。お腹は空いていないが、一番安いメニューがある店に入った。ここはお寿司屋さん。きつねうどんが660円で安い。時間つぶしだから全部食べなくてもいいか。

しばらくして運ばれてきたうどんは、鉄鍋にぐつぐつしていて、下からは燃料が燃えている。炎天下33度を超える中で、こんな熱いうどんを食べなくても良かった。すぐに火は消したけれど、鍋焼きでになっているので、いくら食べても冷めない。とほほ。

美味しいので全部食べてしまった。体の芯まで温まった。温まりすぎ。

汗は、一向にひかず、滝の如し。

バスなかなか来ない。

暑さの中、バスを待つ。猛暑が眉間にしわを作る。

発心門王子へのバスに乗る

発心門王子行きのバスに乗った。バスはかなり狭い道を走る。大型だが早い。すれ違う車がいると急停車して徐行したり、バックしたりしてやり過ごす。そんな山道。片道470円。15分くらい。細い急坂をすごい勢いで登る。

(12時のバスに乗れなかったので、滅多に来ないタクシーの運転手に発心門王子までいくらで走るか聞いたら片道3000円くらいと言うので乗るのをやめた。)

乗客は僕を含めて5人。一人は途中で降りた。残る4人は終点まで行った。2人は男女二人組で蛇形地蔵方面へ行った。僕ともう一人が熊野本宮大社方面へ進む。

やっとバスが来た。1時間45分待ったのだ。ひー。

スタート地点、ここは現代の道路と古道が交わる場所で、家があり人が住んでいる気配。電線がいっぱいあるけれども、ここは山奥の熊野本宮のさらに山奥である。しかし、スマホの電波も入る。

熊野古道、中辺路の道を発心門王子から熊野本宮大社へ向かった進む。

これは、人が住んでいる場所の近くでずっと育てられて来た森だ。それは決して悪いことでは無い。だからこそきれいなんだな。

本当の原生林は東京の雲取山の周辺でも見られるけれど、もっと荒々しくて攻撃的な感じする。原生林では、倒木があるのが普通で、急な斜面であれば、朽ち果てた倒木があるものだ。ここの森は良い意味で人によって守られている。

山は、本当に静かで、自然の音しかしない。

車の音がない。
飛行機が上空を飛ばない。
電気の音がしない。

でも、所々に人が住んでいる。こんな山の奥で、バスは2時間に1本はあるけれども、急斜面に住むのは容易ではないだろう。

熊野本宮大社に天皇や上皇が来た頃から住んでいる人なのだろうと、勝手に思っている。妄想だけど。なぜか知らないけれども、先祖から、代々覚えさせられている句があって、子供の頃から意味もわからずただ暗唱させられるのだ。これも妄想。

かつての主君が復活したり復帰するために必要となる霊的な事物を再び呼び覚ますために、この地で千年を生きよと命じられて以来、ずっとこの山の中に住んでいる。山を守っているのだ。

きっと、言い伝えだけではない、物証となるようなモノも何かしら代々伝えられているのではないか? 大事が起こるとある特別な呪文が唱えられて、それが山を守る人々をにわかに覚醒させる・・・、そんな妄想をするのが楽しい。

自然の道。気持ち良い道を歩いた。

また集落に出た。

家主が植えたのであろう、石垣にサボテンの花が咲いている。

このような山奥で住むための移動スーパーが来ていた。ちょっと高くたって、来てくれるんだから、これは便利だな。

日本昔話のような村が見えます。

ここから熊野本宮まで行くのにも7kmくらい。買い物で往復するのは歩いたら結構大変そうだ。

これも熊野古道。

僕とオジさん。彼は、ここ1週間くらい、ハイエースで車中泊しながら、関西の山を歩いていると言う。高野山は山深くて良かったそうだ。天理の山も風情があってとても良いと言う。

僕が先に歩いて行って、本宮に着いたけれど、なかなか来ないので待たずにそのまま帰った。別に、連れというわけでもないので。

本当に夏の風景だ。

熊野ならではの風景という風に感じる。

美しい展望。山並みと空と雲。

再び鬱蒼とした森の中に入った。

何だこれは? 流れるような葉。

静かな森。

熊野本宮大社へはもうすぐ近く。

本殿の写真はないが、八咫烏(やたがらす)の真っ黒な郵便ポスト!

こうして、熊野本宮大社に戻りました。

手水舎にも、黒いカラスが守り神。

参道を降りる。

正面入り口に戻った。

今日も良い日であった。あっぱれ。

神様と皆々様に感謝。

僕も長い時間歩いたので、ご褒美に抹茶ソフトクリームを食べる。

お疲れ様でした

新宮市に降りて来た。ここで宿泊。

グランホテル。安いけれど(朝食付きで5千円代)、きれいで良いホテルだった。自転車も貸してもらえる。駐車場も無料。

夕食の問題。問題というのは別に困っているという意味ではなくて、「xxとyyが共に成り立つ解を求めよ」というようなこと。

より良い解答とは何か? と、そこで、悩むわけであって、すべての好ましいものが今目の前にあるわけではない。でも、そこそこ良いものが必ずあるはずで、そうでなければ、市場経済は成り立たないはずだから・・・

はまちゃん、という名前が一番の理由でここに決定。はまちゃん=浜口君はうさぎを飼って愛するとても優しい人だったから。

ビール、うわぁ!

串揚げ。お皿に、ソース、塩、梅が盛られていました。

二度漬け禁止というのは、大阪のセンスで、ここでは関係ないかも・・・

ニンニクの芽の豚肉巻き、椎茸の肉詰め、ハムカツ、豚ロース、(写真にはないけどチーズにはんぺんがすごい美味しかったのだけれど、写真を撮る前に食べてしまったよん〜)

こんな立派な揚げ物が、一つ190円とかなので何と素敵なことか。

下の写真は、舞茸、ミョウガの丸揚げ。

舞茸もミョウガもとても良い。素材が良いせいか、塩をちょっと付けるだけでおいしい。

「えび」というメニューもあって、「おお、エビはいいなあ」と思ったので注文したのだが、出来上がってみれば、それって普通のエビフライではないか。

豚ロースはトンカツだった。トンカツだったら、トンカツ屋に行くだろうと思うのだ。串揚げ屋さんが、浮かばれないだろうという感じがするのは、こういうところだ。

さて、夜の天気予報。明後日の日曜日から近畿地方では雨になるらしい。日曜日には関東へ再び戻ろうと思う。

第3日目

和歌山県新宮市

新宮市の朝。今日も良い天気。それもそのはず、4日間晴れる日を狙いすまして出発して来たのである。

朝ごはん。今日はバイキングではなくて、和食か洋食を指定すると運ばれてくる。前日のチェックインの時に、和食を選択した。

和歌山から奈良へ

新宮から奈良方面に行こうと思えば。四日市の方を経由して主に高速道路で行く方法と、最短距離で急峻な山道を抜けて行く道がある。

十津川を経由する道を選択した。この道はとても良い道だった。以下、良いことを列挙する。一見良くなさそうなことに言及しているが、それを長所と考えた上で判断した。

・車が少ない
・自然を満喫できる
・ところどころ細い道になり、徐行で交互通行が必要となる
・行き交う車のスピードがめちゃくちゃ速い
・自然を破壊しかねない大規模土木開発の現場を見られる

奈良県

奈良公園に来た。五條を過ぎて、大和郡山市から渋滞が続いていて、大変不愉快である。1時間かかっても数キロしか進まない。迂回できる道もない。渋滞するところには、行かないのが信条なので、もうやめようと思う。

下の写真の左側が東大寺。後ろが奈良駅。

手を伸ばせばすぐ見えるところで、何も見ないで通過するという、いつものKMRスタイルになった。血は争えないな。江戸っ子なんだ。

なぜかって? それが分からないってぇなら、じっくりと説明しようじゃねぇかい。江戸っ子は、日本一の話好きだから。説明も短くちゃいけない。長いほど良い。

そう、教わって生きて来た。それが「江戸っ子」

土曜日で、天気が良くて(快晴で)、コロナの規制がない。大混雑だったので、スルーした。不安があるわけじゃなくて、ただ人がいっぱいいるところには行きたくないということ。駐車場も大行列。行列には並ばない。

元々混雑したところには行かないので、混雑は敬遠ということにして、次へ進むことにした。雨が追ってくるので、東に逃げようと思う。

今日の昼ごはんは、コンビニの納豆巻きとポカリスエットとナッツ(カシューナッツとアーモンド)。

地味かと思ったが、ものすごく調子が良い。必要十分なものが得られた感じがする。空腹感もない。充実感はしっかりある。

ラジオは、どうやって地方で調整するのか全く分からなかったのだけれど、結局分かったことは、大阪に行くとラジオ大阪が自動的に選局可能になる。

つまり、その地方で受信可能な電波が一覧表示されるという、とてもい賢いラジオであることが分かった。

 

奈良をスルーした後、関東に向かうことにした。

奈良から、京都府、三重県、愛知県 経由で静岡県へ

浜松に来た。少し不思議な、とても安価なホテルである。スーパーホテル浜松。何がスーパーなのか?

部屋の鍵が無い! 暗証番号。6桁数字を指定されるので、覚えておかないといけない。

温泉というのがある。入ってみた。
(もちろん写真はない)

浜松といえば、養殖うなぎの名産地。美味しいうなぎのメッカである。このホテルから歩いていける一番近い店が「かねりん」だった。

ここに電話したら、今の時間予約しなくてもスムーズにご案内できますと女将が言うので、10分後くらいに訪れた。

昔、英理子と浜松に来た時は、うなぎのひつまぶしの店に来た。「ひつまぶし」と見ると「ひまつぶし」に見えてしまう。僕は、よほど暇だったのだろう。

今でも、「ひまつぶし」に見えるのだけれど、「ひまつぶし」を見ても「ひつまぶし」には見えないものである。その店はまだあるのか、どうなったのか、分からない。

中庭がある。

かねりんのうな重。おいしいうな重だった。

今日も近くに特上と並の違いを知らなさそうな男女二人連れが隣の隣にいた。男が女の子の手前、特上を二人分お願いしますと言うのである。特上と並とでは、うなぎのサイズが違うだけである。うなぎ自体は、同じ品質で違いはない。

それは寿司屋とは全く異なる。寿司屋では、量が同じでネタの価値によって、高いネタを選ぶと特上になって、安いネタを選ぶと並みになる。

予想していたように、女の人が途中でお腹いっぱいになって来ちゃったと言った言葉が聞こえて来た。でも頑張って食べたのだろう。店員は、ちゃんと説明しないといけない。

僕が注文するときに、「中はどれくらい?」と聞いたら、「中で1匹です」というしごく簡単な答えが帰った来た。写真は「中」で3780円。とすると、上や特上は1.5匹くらいか、それ以上あるのか。特上の時は、ご飯は少なめにする手もあるが、それはひとの好みだ。横から口を出すわけにも行かない。

そして、歩いて4分ほどのホテルに戻って寝る。

第4日目

静岡県

浜松の朝。生卵かと思って割ったら、温泉卵だった。オーガニックサラダと銘打っていた。自家製パンというのは食べなかった。

9時半の開館に合わせて訪問。

近いので開館前に到着して、入口を掃除機かけているのを眺めていたら、ちょうど時間になったので、開館と同時に入館する。

僕が今日の最初のお客さんである。

これは地下の展示。浜松市楽器博物館では写真撮影がOKだ。しばらく見てから写真OKと聞いたのでぐるっともう一度見直した。

珍しいものがたくさんある

有名なWalterのピアノ、モーツァルトも使っていたメーカーのもの。多分、近いタイプ。

僕は、鍵盤の幅が気になっていたのだけれども、ここの鍵盤は現代のものを同じだった。他のピアノも現代の鍵盤幅になっている。

不思議なことに当時主流であったと言われるサイズ(細幅)が全く無いのはどうしたことか?!

見事に、アンティークが陳列されている。

ブロードウッドはやはり現代的だな。

奥の壁際のフロアの感じ。

クリストフォリのレプリカ。レプリカなのに触れない。というか、レプリカですら貴重なものだ。

電子楽器もある

手前のテレビの画像で映っているは、向谷実だ。シンセサイザーの説明をしているようだ。

これは、オンドマルトノー。

アジアのコーナーは、ディープである。ものすごい圧力を感じる。

これはピアノ。ピアノに絵が描かれているのは珍しいが、チェンバロ時代のセンスの名残だろう。

アジアの何か。

ピアノの鍵盤を見たかった。黒鍵が細い。

シュトライヒャーだったか。ベートーヴェンがいろいろ注文を出していたという。

手前のライン

珍しいもの

プレイエル

ショパンの使っていた時代の、プレイエルのピアノ。これは何やら一番趣味が合いそうだ。では、これを頂戴しよう、ルパン。

ワルター Walter

細いバイオリン

細いバイオリンは旅行にも便利?とか書いてあったような。

右側は、ガンバ。フレットは、ガット弦みたいなものをぐるりと巻いて貼り付けてある。今のギターみたいに金属を打ち込んであるわけではないので調整もできたのだろう。この時代のガンバのフレットというのは、初心者用のガイドみたいだ。違うけど。

マンドリン好きにはたまらない、マンドリン

ちょっと古いタイプのもの

日本のものもある・・・

DX7も展示されていた

YAMAHAのDX7は、24万円という破格の値段で売り出されたので、世界中で大ヒットした。

旧東海道

帰り道、三島近くの旧東海道(箱根八里の区間)

ここから山中城跡を散策してから帰宅

山菜そば

紀伊半島では、うどんもそばもこのようなスタンド風の店はなかった。道端にあるのは、「コーヒーとカレー」という看板が多かった。街道筋に、うどん・そば店が多いのは、関東地方の特色である。

東京へ

4日間で、1336km走った。旅する中でいろいろと得た発見や着想などもあるけれども、ある場所でその瞬間に面白いと思ったことが、しばらく時間がたってからも面白いわけではない。時間がたっても面白いことを何か思いついたら追記したい。

昔の人はもっと移動に時間がかかったはずで、旅とはそもそもそういうものなのだろうとは思うが、今回の熊野詣はひたすら移動しつづける旅であった。

“2022年6月〜熊野古道への旅行記” への1件の返信

  1. とてもおもしろかったです
    どうもありがとう
    おみやげ うけとりましたぞよ

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